色鉛筆

 学生時代から学習スタイルというか勉強方法というか、物事を覚えるのに各自が自然に身につけた方法というものがあると思う。身につけたと言うか、いろいろやっている内に自分に合ったスタイルというものが出来上がってしまったと言うべきだろう。私の場合は学習書を読むのに、まず赤の色鉛筆で線や印を書き込んでいくのである。それは単なる下線や波線であったり、○で囲んだものであったり、時には星印や山印であったりする。試験勉強の時に、これは出そうだという所に山印がつくのである。二度目に本を読み直すときには、もっぱらその印のついた所を重点的にたどる。教科書ならこれで良いが、学習参考書の『重点まとめ』ともなると、うっかり同じ方法をとると本が真っ赤になったりする。でも、この長年かけて身に染みついた学習方法からは簡単に離れられそうもない。印をつける色鉛筆にしても、M社のVERMILIONでなくてはならない。うっかり硬い色鉛筆でも使おうものなら、全く頭の中に入らないのである。芯が適度の柔らかさをもっており、十ページも参考書を読むと再度鉛筆削りで削らなければならない。これを4~5回位繰り返すと疲れてきて、そろそろ休憩するかと言うことになる。
 最近は、資料や機器の取扱説明書がPDFファイルで配布されることが多くなってきた。困ったことに、これはパソコンやタブレットで簡単に読めるのであるが、いっこうに頭の中に残らない。一時は頭の老化のためだろうと思ったが、PDFファイルをプリントアウトして色鉛筆で赤線を引くと、不思議とその部分は頭に残るのである。
 書籍をスキャンしてPDFファイルとして持ち歩く(自炊と言うらしい)人も多いらしいが、多くの書籍やマニュアルがiPadの中に入っていると確かに安心感はある。最近のGB(ギガバイト)単位の容量があれば、百科事典なども平気で入ってしまうだろう。ということは、自分の頭の中には索引だけあって、内容はiPadの中という事も可能なわけである。
 昔、ワープロを使い始めた頃、手書きでは漢字が思い出せなくなって苦労したことがある。今はパソコンが適当に文脈に合わせて変換してくれるし、同音異義語などはそれぞれの意味まで出してきたりする。でも、そういった機能のないスマホなどでは、相変わらずとんでもない誤変換をしたままメールを送ったりしている。送られてくるメールや紹介状の返事などにある相手の誤変換も、最近はあまり気にならなくなってきた。でも、人との会話の場合、いちいち確認のためにiPadを引っ張り出すのもいかがなものかとも思う。会話というのは微妙なタイミングとか間というものがあり、資料を探すのに相手をいらいらさせてしまっても、スムーズなやりとりはできないだろう。
 
 現在は、PDFファイルに自由に下線を引いたり、付箋をつけたりできるソフトをiPadに入れて、それが使い物になるかどうかを試している。タブレットペンも使える様になったし、できたら色鉛筆と同じように筆圧を感じて線の太さや濃さが変わったり、適度な摩擦感があって紙に書いているのと同じような感触が得られればもっといい。さらに、タブレットペンは削る必要がないので、作業がどのくらい進んだのかわからないから、下線や重要マークが指定数を超えると、『そろそろ休憩しましょう。』などと、使用者をいたわってくれる機能もあると嬉しい。
 
 人間というのは、なかなかわがままなものである。
 

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