自動車の自動運転

『大変、大変・・・、車が大変なのよ。』
1月のある日の昼下がり、午後の診療に備えて仮眠をとっていた私は、インターフォンの叫び声で起こされた。
まあ、叫んでいるのは家内なのだが、『車が、車が・・・』だけで要領を得ない。どの程度大変なのか、別に大変レベルを決めているわけでもないので、とりあえず急いでセーターだけ着て表に飛び出してみた。騒ぎ方からして、急に煙でも出だしたか、植え込みにでも突っ込んだか、などと予想しながら家内のそばに行ってみると、何の事は無い。車は路地の中央に止まって異変はなさそうである。しかもやけに車がきれいなのである。
この時点で、ようやく今日は家内の車の車検で、ディーラーが代車を置いていく日だと思い当たった。色や車種が同じで、気を利かせてディーラーが同じものの新型を置いていったのだろう。路地になんか停めないで、早く駐車場に入れれば良いのになんて思っていると、『車が動かないのよー』との事である。車のキーを差し出しながら、『鍵を差し込むところがないのよ。』と半分怒っている。
キーを受け取って、車のキーなんて差し込むところはハンドルの右脇に決まっているじゃないかと思いながら運転席に座ったが、あるべき差し込み口が確かにない。少し離れたところにもそれらしいものはない。右になければ左だろうと思ったが、ここにもない。
この時点でようやく、この車はキーレスなのだと気付いた。キーケースからキーを起こして渡すものだから、てっきり今まで乗っている車と同じように考えていたが、最近の車はボタンで始動する事になっているらしい。ここまで来れば、もうこっちの物で、オロオロする家内を尻目に、颯爽とSTARTと書いてある大きめのボタンを押してエンジンをかけた。もちろんブレーキペダルをちゃんと踏みながらである。快適にエンジンがかかり、家内の方をちらとどや顔で見ながら車を動かそうとしたが、これまた動かない。そうこうしている内に路地の向こうから、大きめのワゴン車が来てしまった。狭い路地なのですれ違えるはずもなく、これまた少し焦ってきた。そのうち、ワゴン車のじいさんが降りてきて早くどいてくれと言う。動かないと言うと、『サイドブレーキがかかってるんじゃないの』と。確かに車は動こうとするのであるが、ブレーキがかかっているようである。そこでサイドブレーキを探したが、これまたあるべき所にない。またじいさん曰く『フットブレーキになってるんじゃないの』。確かに昔乗っていた車でサイドブレーキも足でかける物があったが、それらしきものはない。じいさんはすでに怒り心頭である。狭い路地でバックするだけの技量は持ち合わせていないらしい。
この時点になってようやく、サイドブレーキもボタンになっているのではと思い当たった。再度スタートボタン周辺を探してみると、小さなそれらしいレバーがあったので指で操作してみると、ようやく車は動き出した。
人間の思い込みというのは危険で、キーがあれば、それを差し込む場所があると思い込んでしまう。サイドブレーキもいざというときに力任せに引く事もあるので、助手席との間のレバーとばかり思い込んでしまう。つくづく車の進化というか、知らない間の変化に振り回されてしまった。
ディーラーの置いていった代車はすこぶる快調で、色や車種までそろえて持ってくるところなど、家内に『そろそろ買い換えろ』とプレッシャーをかけているものと思われた。家内は家内で、大騒ぎのことはすぐに忘れて『あれ、調子いいわ。安く置いていってくれないかしら。』などと言っている。
車の自動運転の話があちこちで聞かれ始めた。自動車と言うくらいだから、将来的には自動で動くものになるのだろうが、まあ、テーマパークや大きな敷地内だけで、私の生きている間には公道を走るような物は出来ないと踏んでいる。

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